織田信長・残虐-「信長のおかげで、我々は宗教戦争がない国になれたんだよ」

解説:織田信長はゲームの中でも悪いボスに描かれることが多く、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」のイメージもありとても残虐な独裁者として世の中に 浸透しています。特に比叡山焼き討ち事件は1500~4000人の僧侶をことごとく 皆殺しにしたとして、信長の残虐行為の象徴とも言えます。しかし、このイメージには 違う見方もできるのです。まず、現代のお寺や僧侶と言えば、穏やかで温厚で政治とは 関わらないイメージですが、当時の僧侶は領地もあり、経済力もあり、武器もあり、バリバリ 政治に関わっている存在だったのです。思い出してください、鎌倉時代のヒーロー源義経に 付き従っていた武蔵坊弁慶も僧侶だったのに橋の上で刀狩(いわゆる乱暴狼藉ですね)をして いたではないですか。

その当時の寺社勢力はバリバリの政治勢力で他の宗派との間で戦争し たり、大名と組んで勢力争いをしていたりしたのです。例えば、1532年の山科本願寺合戦 では、日蓮宗の宗徒が山科本願寺を攻撃し、本願寺境内を焼き討ちしたり、その4年後には 比叡山の僧兵が京都法華宗の21本山を焼き討ちし、放火するという天文法華の乱といった 宗教戦争が起きていました。

その中で比叡山延暦寺は信長と敵対していた浅井・朝倉家に加担し ていました。これに対して信長は浅井・朝倉と手を切り、中立を守れば、領地を安堵するがさも なくば全山を焼き払う旨の警告も発していました。しかし、比叡山延暦寺はその警告を無視し、 反信長の姿勢を崩さなかったため、翌年焼き討ちにまで発展したのです。もちろん、残虐であるこ とは間違いありませんが、その後宗教勢力に変化が出てきたのも事実です。事実、比叡山延暦寺は この事件により武装集団・政治集団としては消滅しました。信長は比叡山延暦寺の他にも伊勢長嶋 一向一揆の信者惨殺も行っています。

しかし、大事なことは信長はその後の宗教を禁じたわけでは ないのです。武装集団・政治集団にならない一般庶民の信仰であれば、これまでとおり問題なしと したのです。これにより日本全国の寺社勢力が武装解除していきます。一部、現在でいう過激派の ような勢力は残ったものの、基本的には当時において政教分離が達成されたのです。

現在、我々日 本人が世界の宗教戦争のような激しい宗派争いと無縁なのはやり方はともかく、信長の功績なのか もしれません。信長もこうした見方で見れば、世間のイメージと違った一面が見えてくるのでは?


投稿者: ミカタマン

福岡県出身、熊本在住の普通のサラリーマン。2児の父親です。ニュースを見てひとりで文句を言うのが趣味です。その趣味が高じてこのブログを立ち上げました。

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